喧嘩別れでは、なくて
冷静に、第三者も交えて話した結果が、住まいを分けるという結論だった。
いつまで、と決めていないし
離婚に向けての一歩というわけでもない。
わたしは娘のお母さんだし、夫は娘のお父さんだ。
それが、それぞれ望む第一の役割だ。
だから、それをやりやすいように、しかし、二人でいて息苦しい今を変える。
不動産賃貸情報を見て、部屋を探す。
娘もそこに出入りすることになると思う。
部屋をもう一つ借りることを決めてから、夫婦の二人とも
穏やかな時間が増えたと思う。
「別居!」と大げさに考えたこともあったが、なんということもない。
夫婦で家を2軒使うだけだ。
はじめての夫婦カウンセリング
カウンセリングに行ってきた。
時間は50分。
私が多く話して、夫が話したのは少しだった。
カウンセラーは始め穏やかに私たちの話を促した。
伝えたいことが多かったのはわたしで、
その私の話を聞いて、夫がどう思うか話すように声をかけた。
夫は私の発言に肯定的で「そのとおりです」「そう聞いていました」などと答えることが多かった。
お互いを見つめ合うのではなく、まず相手のことを考えず自分の道を進む方がよいのではないかとのことで、別居を勧められる。
結婚は解消せず、住まいを分け、落ち着いて自分でいられる時間をとるとよい。
夫も私も、一番大切なのは娘のこと。
それは共通点である。今はその役割を果たし、それ以外は「自分の生活」をすることに注力する。
別居・方向を変える
詐欺事件があり、パートナーへの信頼が揺らいだ。
別居しようと考え始めた。
私はパートナーの立てる大きな物音、乱暴な動作に脅かされるので、
別居は心安らかに暮らし、気持ちを落ち着けることには有効だと思った。
新しくひと部屋借りて、そこにパートナーが住むことを仮に決めたが、
結局、日常の娘のケアをうまく組み立てられないので、それは頓挫。
そこで考えたのが、もっと広い家に住み、住宅のシェアメイトとして
一緒に暮らすということ。
お互いにあまり関わらないようにすれば、私もいまほど辛くはないだろう。
娘も父親と母親と一緒に暮らせる。
問題はどこに住居を構え、どのように支払いするか。娘の小学校どこにするかだ。
スタート
10年単位レベルの大きな変化がスタートした。
話し合いは淡々と実務に徹して。
どんな自分でそれをするか(2)いいとこ探し
続き。
いいとこ探しをしている。カード1枚にひとつ、書き付けてみる。
わたしのコーチは
「イラストなんかもいれるといいね!」と爽やかな笑顔で言った。
なので、とても久しぶりにイラストなんかも描く。
それにしても、難しい。難産。
そして気づく、こんなにも、自分に駄目出しばかりしてきたのかと。
ダメなとこなら、もう無限に出てくるもの。
仕事などで「自己肯定感」とか「向上的変容」とか言ってきたのに
自分には全く適用できていない!!
驚く。
ギブスをはめていた足を久しぶりに地面に下ろして歩いた時のようにバランスを取れない感覚を感じながら、自分のいいところを探してみる。
書いてみる。
どんな自分でそれをするか
コーチングで、コーチに言われた言葉
「どんな自分でそれをするか」
まかれたタネのように心の中にあり続けて
少しずつ芽を出しているよう
コーチに聞いてみた
「どんな自分でそれをするか、って言葉が残っていて
でも、なんだかピンとこなくって だけど自分にとって
大切だと思う」
そんな風に言った
その後で、コーチに
「我が子可愛さを惚気るように
自分のいいところを言ってみて」と言われる
それは、ずいぶん難しいことだった!
浮かばない とまどう 困る 言葉が出ない
どうしようどうしようと思って
わたしの親しい人が、わたしを褒めるという設定を思いつき
話してみた
それにしても、難しいぞ
そのことは、お持ち帰りになり、イラストと共に
ノートに書きつけることになった
えらいこっちゃ!